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【他者貢献】アドラー心理学で大切なこと・その3

こんにちは!ゆうきです。

 

最近断捨離をしていて、使わなくなったオーラソーマのボトルを手放し始めました。

このブログを始めるにあたり、今まで大好きな趣味としてやっていたテレビゲームも手放したし。

ゲームがないと生きていけない、とまで思っていたのですが…

手放すタイミングだったのか逆にスッキリしています。不思議。

 

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byフリー写真素材ぱくたそ

 

 今回は、アドラー心理学の中で大切なこと其の3・他者貢献について説明していきます!よろしくお願い致します。

 

始めましての方は、こちらもどうぞ♪

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今回お話しする他者貢献は、自己受容、他者信頼に次いで悩みを解決する大切な要素になります。

自己受容、他者信頼について詳しく知りたい方はこちらの記事をお読みください。

 

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他者貢献とは

アドラー氏は他者貢献のことを、

 

仲間である他者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと。貢献しようとすること

 

 と述べています。

 

「嫌われる勇気」では、ここで青年がすかさず他者貢献に対して疑問を投げかけています。

 

 

青年:貢献とはつまり、自己犠牲の精神を見せて、周りの人に尽くしなさいと?

 

哲人:アドラーは、他者のために自分を犠牲にしてしまう人のことを「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしています。

(中略)

つまり他者貢献とは、「わたし」をすてて誰かに尽くすことでなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

 

(嫌われる勇気より一部抜粋)

 

その後も議論は続きますし、アドラーが否定している偽善・自己犠牲・承認欲求とごちゃごちゃになるところです。

 

ここは、是非書籍を読んでご自分の頭で考えて頂きたいのですが(丸投げ)

 

他者貢献と言うのは、他人の反応は関係なく、主観的に

 

私は他者の役に立てている

 

と実感するためにやることだと言っています。

 

哲人:偽善と間違われますが、他者が「仲間」であるのなら、いかなる貢献も偽善にはならないはず。

偽善と言う言葉にこだわっているのは、まだ共同体感覚を理解出来ていないからです。

(嫌われる勇気 一部抜粋)

 

 

自己受容

他者信頼

そして他者貢献

 

の3つは、共同体感覚を得るために欠かせないものであると述べています。

 

そして他者貢献の概念で大切なのは

 

他者がわたしに何をしてくれるかではなく、わたしが他者になにを出来るかを考え、実践していくことです。

 

自分を犠牲にしてやるものではなく、自分が持っているカードをどう使って他者へ貢献していくのか?

 

そしてそれは、本来なら苦しみながらやる自己犠牲でも、

自分を満たすためだけにやる偽善でもありません。

 

 

共同体感覚とは

 また単語が出てきました。

アドラー氏は、この共同体感覚こそが対人関係のゴール(目的)だと述べていて、

この心理学の鍵的概念でもあります。

正直ここの説明は難しいのですが、簡単に言うと共同体感覚というのは

 

他者を仲間と見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること

 

という感覚なのだそうです。

 

何となくニュアンスはお分かりになると思います。

 

自分の居場所を感じると、心が落ち着くと思います。

 

それとは逆に、他者を仲間とみなさないと「自分の居場所がある=ここにいてもいいんだ」という安心感は持てないですよね。

 

自己受容が出来ていないと、素直にそう感じることは難しいと思います。

 

そして、形を問わず他者に貢献する(しようとする)からこそ、意欲が湧いてくるところがあると思うのです。

 

その安心感を実感している状態を、共同体感覚、と呼んでいます。

(かなりざっくり簡単に要約しています)

 

 

ただ…、この共同体感覚の共同体の範囲がとてつもなく広く、

そして過去未来という概念を越えた全てが「共同体」なんだ、と心理学の枠を越えて説明しているので、アドラーが提唱していた時代にもかなり賛否両論あったそうです。

 

しかし、その共同体感覚は対人関係の在り方を考えるもっとも重要な指標と言われています。

 

 

 

どうしたら、共同体感覚を得られるのか

 

素の自分をそのまま受け入れる自己受容

他者を仲間と見なす他者信頼

その他者に何かを与える他者貢献

 

この3つが理解出来れば共同体感覚を得られるというのがアドラーの考えです。

 

しかもそれは雪だるま式にどんどん加速していくものでもあると言います。

 

 

素の自分を受け入れ、今の自分に与えられているものを受け入れる

他者は敵ではなく、仲間だと信じる

その他者に、自分がもっているもので貢献して、役に立てていると実感できる

その実感が、さらに自己受容を深める

より、他者への認識が和らいでいく

さらに貢献したくなる

 

というように、理解が深まってサイクルが構築されると、他者との関りが変わってくるそうです。

 

 

承認欲求は必要ない

この共同体感覚を説明しようとすると、どうしても矛盾が出てきました。

「嫌われる勇気」の作中でも、青年が質問しています。

 

「私は役に立てている」と実感するためには、他人からの承認って必要になるじゃん?

他人から認められるから、自分でも実感できるんじゃないの?

 

と思うかもしれません。

(私も、最初はそう思いました。)

 

でも実際は、

 

「私は誰かの役に立てている」という思いは主観的であり、他人からの承認の有無は無関係」

 

なんです。

 

承認があろうがなかろうが、自分自身が「私は役に立てているんだ」と実感できればそれでいい、とアドラー氏は言っています。

 

逆に、承認があっても本人が「そんなことない。もっと出来たはずのなのに…」と、

受け取らない場合もありますよね。

 

なのでこの他者貢献と承認欲求は全く別物で、

 

他者貢献に承認欲求は必要ないんです!

 

 

偽善との違い

 ここは、作中でもかなり言及しているところです。

 

「私は役に立てている」と実感するために他者に貢献する…

それって偽善じゃね?と。

 

自分自身が、役に立てていると実感するために他者に何かをするのなら、確かに偽善とも言えますよね。

 

そこは青年もかなり突っ込んで聞いています。

それに対し、哲人はある例えを述べました。

 

ーーーー嫌われる勇気より入り部抜粋ーーーー

 

ある家庭で夕食が終わった後、食卓の上に食器が残っている。子供たちは自分の部屋に戻り、夫はソファに座ってテレビを見ている。妻が後片付けをするほかない。

しかも家族はそれが当然だと思っていて、手伝う素振りも見せない。

普通に考えれば「何故手伝ってくれないのか」「何故わたしだけ働かなければならないのか?」という状況です。

 

しかしこの時、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片付けながら「私は家族の役に立っている」と考えてほしいのです。

 

(中略)

 

事実、ここでイライラしながらお皿を洗っていても、自分が面白くないばかりか家族だって近づきたいとは思いません。一方、楽しそうに鼻歌でも歌いながらお皿を洗っていれば、子供たちも手伝ってくれるかもしれない。少なくとも、手伝いやすい雰囲気は出来上がります。

 

(中略)

 

他者を「敵」だと見なしたままおこなう貢献は、もしかすると偽善に繋がるのかもしれません。しかし、他者が「仲間」であるのなら、いかなる高検も偽善にはならないはずです。

 

あなたがずっと偽善という言葉にこだわっているのは、まだ共同体感覚を理解できていないからです。

 

ーーーー引用終わりーーーー

 

 最後にはっきりおっしゃっています(笑)

 

 

ぎ‐ぜん【偽善】

 
うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。「偽善に満ちた社会」

kotobank.jp

 

 という意味を見ると、偽善というのは「偽って善行をすること」なのですが、

相手を敵だと見なすと、確かに「偽善」になりやすいのかもしれません。

 

腹の底で承認を求めて良いことをやって、感謝の言葉が無いと不満や怒りを抱く、

というのはもしかしたら偽善行為なのかもしれませんね。

(やった内容はどうあれ)

 

ここは定義が難しいところです。

 

 

でも、大切な人や仲間が困っている時って、損得関係なく助けになりたいと思うし、

良好な関係の人と一緒にいる時など、大なり小なり、

 

「私に何か出来ることはないか?」

「今の私に何が出来るだろうか?」

 

って考えてると思うんです。

それは意識すらしてないかもしれません。

 

気付いていないだけで、「役に立ちたい」と思うことって必ずあります。

 

 

職場では自分の役割を全うするし、得意分野を活かしたいとも思うでしょうし。

例えばゲームなんかでも、味方と協力して戦ったり。

 

難しく考えなくても、

他者貢献というのはそういうことなのかな~と私は思います。

 

 

 

最後に

 

他者貢献について説明してきましたが、いかがでしたでしょうか。

心理学なだけに、かなり議論されてきたと思います。

 

深く考えれば闇ること間違いなしな項目もありますw

 

 

自己受容が出来れば他者信頼も出来る、

他者信頼が出来れば他者貢献も理解できる。

そうなれば共同体感覚も理解出来てくる…

 

そんな感じでしょうか。

 

こればっかりは、日常で小さなことを繰り返して実践して、

自分で体感していくほか、理解を深めることは出来ないと思います。

 

私も、色んな人の体験を聞いて参考にしようとしましたが、

今となってはほとんどが足かせになっていたと思います。

 

人の体験を聞いて理解しようとしても、無理。

(知識、小話としては役立ちます!)

 

 

というわけで、次回はもう一つ大切なことである「課題の分離」について

書いていきたいと思います!

 

 

最後に…。

 

アドラー心理学についてこう思ってるよ、私はこう解釈しているよ、

などありましたら是非聞かせて下さい♪

感想なども頂けると、励みになります!

 

 

※当ブログ内で引用させて頂いた書籍を紹介いたします。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

私が読んだ書籍の中では一番分かりやすかったです!

会話形式が苦手じゃない方にはおススメの本です。

 

 

 

 

 では、最後まで読み進めて下さり、ありがとうございましたm(__)m