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【承認欲求】アドラー心理学

 

こんにちは、ゆうきしほです。

 

前回は承認欲求のことを、マズローの5段階欲求を通して簡単に書きました。

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今回は、アドラー氏の個人心理学から見た承認欲求について書きたいと思います。

 

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承認欲求に動かされていると、自分軸を持つのは難しいです。

何故なら、自分軸を持つということはその人に嫌われる可能性があるため、

それだと承認欲求を満たせなくなるかもしれないからです。

 

承認欲求に支配されていると、

嫌われないように・好かれるように行動するため、

(無意識で)自分軸に基づいた行動をするのを恐れるようになります。

 

個人心理学から見る承認欲求

アドラー氏は承認欲求を否定していますが、存在自体を否定しているかと言えばそうではないようです。

 

承認欲求とは認められたい、愛されたいという欲求ですが、

これを言い換えると自分自身が、

 

「認められた、愛されていた、受け入れられていたんだ」

と、自分で理解出来た状態=欲求が満たされる

 

と言うことになります。

 

つまり、直接他者から承認の言葉や感謝をされなくても、

自分自身で「他者のために貢献できた、力になれた」と思えればそれで承認欲求は満たされる。

 

他人に承認欲求を満たしてもらうことなく、自分自身で自分の尊厳を満たすことが出来る。

 

そのような意味で、承認欲求を否定しています。

 

確かに、マズローの5段階欲求でも承認欲求は内心を満たしたいという高次欲求だし、

外的要因に左右される低次欲求と違って、そもそも実は自分の内側で自己完結出来るものだったのかもしれませんね。

 

 

大切なのは実感

 

自分を認め、他者を信頼し、貢献(しよう)とする。

 

そこに例え他者からの感謝がなくても、「私は貢献出来たんだ」という実感を持つことが出来れば、人は満たされると言います。

 

簡単に言うと自己満足で充分だということになります。

ですがこの自己満足は、メサイアコンプレックスからくる自己満足とは違います。

 

 メサイアコンプレックスについてはこちらを読んでみて下さい。

www.kokoronikiku.com

アドラー氏は、このコンプレックスには警鐘を鳴らしていたそうです。

 

 

話は戻りますが、自己満足で一番分かりやすいと思う例えとして電車で席を譲る場合が分かりやすいかなと思います。

 

例えば、あなたが乗っている電車が混んでいたとします。

次の駅で高齢のおばあさんが乗ってきました。でも座れる場所がありません。

 

この時、普通は声を掛けて譲ると思います。

でも、アドラー心理学から見た「他者貢献」で行動すると、

声を掛けずに電車を降りる振りをして席を立つのが一番良いそうです。

 

そのおばあさんが席に座りたいと思っているかは分からないし、

大勢の人の前で年寄り扱いをされたくない、と思っているかもしれない。

実はおばあさんよりも、「体調が悪いから早く席に座りたい」と思いながら立っている人もいるかもしれません。

 

特定の人が来たら譲る、それ以外の人には譲らないというのは、

本当の他者貢献にはなりません。

 

誰が座ろうと、自分は席を譲る

 

そのために何も言わずに、降りる振りをして席を立つのが自然な形です。

これだと、「譲りたいけど声を掛けにくい」という問題も解決されるし、

行動を起こす側にもハードルが低くなって良いですよね。

 

自分自身でも「席を譲った」=他者貢献が出来た、という認識が残るし、

誰に感謝を求めるわけでもありません。

 

 

実感があれば、他人の承認がなくても自分で自分を認めることが出来ます。

 

 

 

承認欲求から抜け出すと、自分軸が持てる

 

承認欲求が良くないと分かっていても、どうしても感謝や承認の言葉を求めてしまう。

ワークなどで過去の出来事と向き合うが、それが実生活に活かせない。

 

そういう場合は、「承認欲求の仕組み」や「何故他者から承認を求めるのか」を知ることで抜け出せるヒントになります。

 

最初のほうにも書きましたが、

 

他者から感謝されたいのは、他者からの感謝の言葉をもらうことで自分自身の価値を見出しているから。

 

つまり、自分自身の中で自分の価値を見出せることが出来れば、他者の承認は必要なくなります。

 

例え感謝をされなくても、自分自身の中に貢献感を感じることが出来れば良い。

 

それが自分軸であり、

人に感謝されなくても認められなくても自分自身が自分を認められるので、

自信に満ち溢れ、やりたいことをやれるようになっていきます。

 

 

嫌われたくないという思い

 

私もそうですが、ほとんどの人には「嫌われたくない=全ての人に好かれたい」という欲求があると思います。

 

これはおそらく第2段階の安全欲求にも繋がってくると思うのですが、人に嫌われるということは、自分だけ仲間外れにされたり、ひどい扱いを受けるかもしれないという危機感から来ているものだと思います。

 

周りの人とうまくやっていかないと生き残れない、という恐怖もあるかもしれません。

 

ですが、「嫌われないように」生きるには、常に他人に合わせて自分を偽らなければいけません。

建前というのもあるので、私はある程度の建前は必要だと思っています。でも、

 

残念なことに、どんなに相手に合わせても、嫌われるときは嫌われるのは事実です。

 

嫌われないように態度を変えて相手に合わせていると「八方美人なところが嫌い」

細かいことを気にせず、自分をもって思ったことをはっきり言うと「サバサバしすぎていて苦手」

 

というように、全ての人に合わせるのは無理なんです。

 

 

子供の頃であれば、親の承認を得るということは、自分の死活問題にも直結するので必須だったかもしれませんが、大人になれば親の承認は必要ありません。

自分で決めればいいのです。

 

そう考えると、承認欲求は、子供時代に持った不要な思い込みとも言えます。

 

 

幸せに生きるのに、承認欲求は不要

 

自立して社会と調和し、幸せに生きるのに承認欲求は必要ありません。

 

むしろ、他人からの承認に支配されているうちは自立しているとは言えません。

 

精神的に自立するということは、他者からの承認や反応から一線を引くことになります

 

 

個人的に、他者からの承認に頼らずとも自分自身で「貢献感」を実感できるかどうか…。

そのための行動が出来るかどうか。

それが、精神的な自立の境目なのかなと思います。

 

参考にした書籍はこちら。

何度も紹介していますが、これは重要なところが分かりやすく解説されていてとても勉強になります。

作中の、青年の質問がとても良いです。

興奮しているからか態度は大きいですがwちなみに幸せになる勇気の方ではもっと偉そうな態度を取りますw

 

 

最後に

 今回は、承認欲求について書きましたがいかがでしたでしょうか。

承認欲求は、自覚していたとしとしても抜け出すのが難しいと思います。

 

この欲求は、自分自身で貢献感を実感できることが出来れば満たされていくし、

自然と抜け出せるのではないかと思います。

 

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました!